

天国へようこそ、さようなら、そしてありがとう、ポーちゃん。
わが家にポーちゃんがやって来たのは2005年の初夏だった。
2011年に亡くなった柴のミックス犬、チッポのお嫁さんとして愛媛のブリーダーからネットを通して購入し、
暑い日に羽田空港の貨物取扱所まで迎えに行った。
旅客ターミナルから随分遠かったことを覚えている。
来たばかりのころは、鬼ごっこをしているとソファと床とのわずかな隙間にもぐりこんでしまうほど小さかった。
よく食べ、よく遊び、瞬く間にポーちゃんは成犬になってしまった。
純血種の黒柴は雑種のチッポにくらべると足も太く、骨格も頑丈で牙も大きく、健康そのものだった。
女の子なのに気性も荒く、いつの間にか家族の中の順位はチッポの上になっていた。
2011年7月にチッポが亡くなった後も仔犬が欲しくて婚活を続けたが、
いつもオス犬にマウンティングしてしまってうまくいかなかった。生涯、子どもは持たないままだった。
12歳になったのでそろそろ老後のことを考えなくてはと思い始めた。
春先から少しずつ様子が変わってきた。
それまでかゆがることはあまりなかったのに、からだ中をかくようになった。
皮膚科の専門医に診てもらうと「加齢による免疫の低下が原因」ということだった。
それから食べるときも、以前ほどガツガツしなくなってきた。
呼んでもすぐに応えなくなった。
毎日、日なたで寝てばかりいるようになった。
知らない人が来ても激しく吠えることもなくなった。
「犬も歳をとると温厚になるのかな?」というぐらいにしか思っていなかった。
年末で忙しくなり、そろそろ新年の準備をと思っていたころ、急に食欲がなくなった。
最初は混ぜてあげていたドッグフードの好きな部分ばかり食べていた。
間もなく、ドライのフードを食べなくなったのでウェットのものや肉などをあげるようにした。
「ぜいたくになったものだ」と思っていると、食べ物をいっさい口にしなくなってしまった。
これは加齢によるものではないなと気がついてあわてて病院に連れていった。
レントゲンを撮り、エコーをあててみると、子宮がはれ、胆石があり、内臓のあちこちに腫瘍があるとのことだった。
「開腹してみないと何ともいえないが、多臓器不全に陥っている」との診断だった。
「もう長くないかもしれない」そう思った私は、手術はせず、点滴や投薬で体力を回復させ、なんとか好転することを願うことにした。
しかし、娘は猛反対だった。
まだ体力の残っているうちに手術を受けさせるべきだと強硬に主張し、譲らなかった。
結局、家族の合意の下、手術を受けさせた。
「手術は成功したよ」、沈んだなかにも一筋の光明を見出したかのように娘は言った。
しかし、その翌日の夕方、死去の知らせが病院から届いた。
12月23日土曜日、午後6時55分永眠。享年12歳。
ポーちゃんがチッポと一緒に暮したのは6年間だった。
観音山丘陵を3人で毎日散歩した。
チッポが亡くなってからはポーちゃんが話し相手になってくれた。
書斎で仕事をしていると、いつの間にか足元に来て、寝ている。
縁側で寝ていても、3時ごろになると散歩の催促に来る。
夜は先に2階の寝室に入ってしまうと、後からポーちゃんの階段を上がる足音がして、戸をトントンとたたく音がする。
そして一緒にベッドで寝ていた。
私の足の上には、まだポーちゃんの丸まったからだの形と柔らかい感触が残っている。
別れはもう少し先だと思っていた。
柴犬の生涯にしては少し短かったような無念さが残る。
いつも元気だったので、もう少し健康に気をつけてあげていればと悔やまれる。
私が台所で料理をしていると顔をのぞかせ、何かおいしいものはないかとねだった。鶏の皮を炒めたものと油揚げが好物だった。
いつも家族の中心にいて、おいしいものをたくさん食べた。
最後には相手を脅してしまうけれど、友達もたくさんできた。
黒柴の力丸、雑種のひなちゃん、ラムちゃん、ラス、ボーダーコリーのチェリー、ポメラニアンのポッキー、大型犬のゴン太。
もうみんないなくなってしまった。
いつも話し相手になり、たくさんの楽しい時間をつくってくれた。
毎日、雨の日も雪の日も散歩に誘ってくれた。
感謝してもしきれない。
天国に一人で散歩に行ってしまった。
天国ではチッポや友だちと仲良くしてね。
ありがとうポーちゃん。